ライフとキャリアとUターンの三重取り~キャリアを諦めない移住の仕方~【静岡移住のリアル vol.2】
TurnXでは「静岡移住のリアル」と題し、実際に静岡県内に移住された方の体験談、スケジュール、検討〜実際に移住するまでのお話をインタビューしていきます!
第二弾となる今回は、今年2022年の5月に地元である静岡県富士市にUターン移住された原田さんに、お話しをお聞きしました。
移住スケジュール
【移住までの流れ】1. きっかけ編
| いずれは静岡に戻ろう、今すぐじゃないけど
―― Uターンはいつ頃から考えていましたか?
大学卒業する頃から何となくです。長女で、親も近くに住んでくれたら嬉しいと言われていたこともあって、いずれ戻りたいかもとは思っていました。
―― 大学卒業時はまだ戻らなかったのですね。
はい。明確なキャリアプランがあったわけではないですが、単純に、まだ20代は地元があんまり好きじゃなかったというのが正直なところで。好きじゃなかったというか、18年間過ごしてきて、少し退屈に感じてしまって。大学から神奈川に来て、地元との違いを感じたんです。交通も便利で、いろんなお店があって楽しいし。あとは仕事を選ぶにも都会の方が多そうだなと。それで、都会にいた方がわくわくしそうだなという考えでした。
―― 地元が大好き!いつか絶対帰る!ではなくて、帰る選択肢を感じつつも気乗りしないし先延ばししとこうという感じだったんですね。笑
そうですね(笑)なんとなく30歳くらいを目途に考えていて、でも別に神奈川の暮らしが気に入ればそのままずっと神奈川に住むでもいいやとも思っていました。
| 30歳になって、ライフとキャリアを見つめなおしたら…
―― 何がきっかけでUターンをリアルに意識しだしましたか?
2つあって、まずは、20代半ばで地域情報紙編集の仕事に転職したことです。自分の経歴ですが、新卒では、クリエイティブ系の職種を探して、旅行雑誌の編集プロダクションで1年ほど働きました。編集の仕事には面白みを感じたのですが、精神的・体力的にきつくなってしまい退職しました。その後、同じ編集の仕事をしたいと思って入った会社が、地域情報紙を作っている会社でした。そこで仕事をしていたら、これは面白いジャンルだなと思い始めました。読む人も、載るお店も自分の住んでいる地域の人で、身近な人がとりあげられたり。この仕事から、地元で記事を書くというイメージがわいて、いずれはUターンもアリかもと思い始めました。
―― 地域と関わりだしたら地元で働くイメージが持てたんですね。
2つ目は、30歳の誕生日を迎えたことです。自分の場合は、いずれは家庭を持ったり、子育てをしたいという思いがありました。30歳の節目を迎えて、そろそろ考え始めたいと思ったのが大きかったです。地域情報紙の仕事はやりがいがあって毎日があっという間に過ぎていく一方で、漠然と「このままでいいのかな」という不安がつきまとっていました。ただ、自分のキャパシティ的に、当時の仕事と家庭を両立していくイメージが持てず。それで、家庭をもつなら自分は地元に戻る方がイメージがわくなと思い始めて、色々と調べ始めました。
【移住までの流れ】2. 決断編
| 情報収集を開始!
Uターンを意識しだしてからは、「静岡 Uターン」などの文言で、検索エンジンやFacebookでひたすら検索して、働き方や、移住した人の体験談を探しました。あとは、地元の富士市に戻っても新しい情報や刺激に出会ってわくわくできそうか、そういうものが得られる場所があるかどうか知りたくて。
―― わくわくするような情報には出会えましたか?
はい。生き博静岡というイベントのバナーを見つけて、静岡で新しいことをしている人にフォーカスしていてわくわくしそうだなと思って申し込みました。実際に登壇されていた方々も、静岡でビール作りや宿の運営など新しいことを立ち上げていて、静岡でもおもしろいことをしている人がいるんだというのを知れたのは、戻ってもおもしろそうかもと思えたキッカケになっています。
また、体験談は、新潟県の女性向けの移住イベントに参加しました。新潟移住された登壇者が3人いらっしゃり、地元でこんなやり方で働いていますというのが聞けたのが良かったです。あとは利便性の質問をして、Amazonで何でも買えるしそこまで不便は感じてないですよなど、暮らしぶりの話をしてくださって、移住のイメージがわきました。
―― 地元でもわくわくできるんじゃないかというイメージがわいてきたんですね。
| キャリアとライフの天秤に悩む日々
―― イメージがわいて、あとはスムーズに移住に至ったのですか。
いえ、なかなか葛藤しました。神奈川の仕事も楽しいしやりがいがあるし手放したくないな、と。もっとできるようになりたいことがいくつもあって、まわりに先輩がいて、すごく学べる環境だったんです。そういう環境を手放すのがすごく怖くて、すぐにストンと移住するには至らなかったんです。
―― キャリアとライフの天秤ですね。リアルな葛藤ですね、共感します。
| 転機となったのは、自ら掴んだ地域でのライター活動
―― 葛藤の中、始めたのが地元でのライター活動ですね。
はい。沼津経済新聞という地域のインターネットニュースで、ライターのボランティアを始めて、週末に地元を訪れて取材活動をするようになりました。ネット記事に携わりたかったのと、純粋に、地元の面白い人やイベントを取材できたら楽しいな、地元を応援したいなという気持ちがありました。
―― ライター活動を始めたことで、何か気持ちの変化はありましたか?
神奈川に住みながらでも週末富士に帰って取材する、そういうゆるく繋がるみたいなこともできるんだと気づきました。その状態も心地よかったのですが、だんだん自分の体力やキャパシティ的にきつくなってきたとき、なおさら、地元の方でやりたい!という気持ちが勝って、じゃあ移住するかと。
―― ゆるく繋がるというワンアクションがあってからの、人生が進んだんですね。
【移住までの流れ】3. 実行編
| いざ、仕事探し!せっかく富士市で働くならこの仕事
―― どのように仕事を選びましたか?
ライター職で転職するか、ライフワークとしてライターをやるか迷って、後者に決めました。30代になり家庭ももちたいと考えたときに、仕事と、時間的にも余裕のある暮らしと、好きなこととしてのライター業を両立したいと思ったんです。
約1ヶ月間、転職活動をして、今勤めている製紙会社に内定を頂きました。
地元の富士市、というと子どもの頃から「紙のまち」というイメージがありました。せっかく働くのであれば、地元の産業について少しでも知ることができればと思い、製紙会社にしました。
業務内容としては、紙の試験業務と事務です。食べ物を包む耐油紙や、建材に使われる紙など、特殊な紙を作っている会社で、いろんな紙の物性を試験したり、入力作業などの事務をしています。
―― 障壁や不安はありましたか?
地元に戻ること自体には不安はなかったです。家族もいるし、同級生もいるし。怖かったことは、職場という学べる環境を手放すことは最後まで怖かったですし、今でも怖いです。
ただ、最近、地元で開催されたライタ―講座に参加してみて、勉強になりましたし、地元でもそういうことをやっている人がいるんだなと、そういう場に積極的にこれからも足を運びたいなと思いました。以前のように身近にライターとしての上司や先輩がいるわけではないので、そこはどうやって自分の努力で補っていこうかは模索しています。
【移住してみて】
| つまらない場所だと思っていた地元は、今は自分が居心地良くいられる場所
―― 移住してよかったことは何ですか?
実家の家族と過ごす時間が増えました。最近だと、家族の誕生日を同じ食卓で祝えたのがよかったです。
地元の小中学校からの友人が身近にいるのも心強くて、たまに会ってごはんを食べながら近況報告しています。
―― Uターンして気づいた富士市の魅力はありますか?
やはり富士山がきれいです。通勤の途中や会社の食堂から見えるのですが、おおらかな気持ちになります。あとは都心に比べると時間がゆったり流れてる感じがして、やさしい人が多い気がします。
―― 景色と人が魅力なんですね。逆にデメリットはありましたか?
やはり都心に比べると電車やバスの本数が少ないので、移動手段で車は必須だなと感じます。そのため、車の維持費(ローン、保険、燃料費など)が毎月かかってしまうのは少し痛いです。
―― 給与や生活費のリアルをお聞きしても良いですか…!?
■年収
30%ほど減りましたね。
その分をライフワーク(兼副業)でカバーできたらなと考えていましたが、今のところはまだまだです。今後少しずつ「お小遣い分」を増やしていけたらな、ぐらいの感覚で今は考えています。
■家賃
現在の家賃:56,000円(1LDK、駐車場込み)
神奈川の家賃:69,000円(1K)
■その他
車の維持費が毎月3万円ほどかかります。
自炊する時間が増えた分、食費でおさえられるように心がけています。
―― 転職先で働きだしてみて、実際どうですか?
今までの広告系の会社に比べると、業務量に余裕があり、定時で帰る人が多くホワイトな印象です。
神奈川で広告業をしていたときは、時間に追われながら毎日いろんな人に会う1日で、それが刺激でもあり楽しかったのですが、疲れ切ってしまうこともありました。その点でいうと、今の環境は自分のペースに合っているのかな、と感じています。
一方で、物足りなさを感じることもありますが、その分はライフワークでカバーできれば、という感じでバランスをとっています。
キャリアイメージとしては、子育てしながら働いている女性もいて、子どもの都合によるお休みや早退も相談に乗ってもらえる感じの職場なので、結婚後も続けていけそうな環境ではありますが、自分のキャパ的に今後どうしていくかは考え中です。
| これからも、ライフとキャリアのバランスを模索
―― 今後の展望をお聞きしたいです。
将来的には、本業の製紙会社で得た紙の知識を、ライフワークのライター業でも活かせたらいいなと思っています。地元の「紙」について、分かりやすく富士市内外の人に伝える役割ができたらいいな・・・という淡い夢があります。
富士市の「紙」というと、トイレットペーパーのイメージが強かったのですが、勤め先では食べ物を包んだりする耐油紙、建材に使われる木目をプリントする建材紙などを作っていたり。あとは他社さんですが、「紙バンド」といって袋を縛ったり、手芸でも使われるものを専門で作っている会社があったりと、いろんな種類の紙を作っているんだな、という印象です。そんな気づきをほかの人にも共有できたらな、と考えています。
―― どこかのタイミングで、ライターを本業にする選択肢はありますか?
考え中です。戻ってきた当初は、いずれライター業に本腰を入れたいと思っていましたが、今は両立して続けていくのもありかな、と考えています。
製紙会社での仕事とライター業、両方続けていくことで、紙の知識をライター業でも活かせるのかもしれない。あとは、収入の安定を考えると会社員を続けていく方がいいのかなと今は考えています。
【さいごに】
| 移住を検討する方にメッセージを
とにかく情報を集めることが自分の安心感にも繋がると思います。もちろん静岡県の移住セミナーなどに参加してみるのもいいと思いますし、自分のように地元じゃないエリアのものに参加してみてもヒントがたくさんあると思います。今はオンラインでもたくさんあって前より参加しやすいでしょうし、まずは出てみるのも良いと思います。
―― ありがとうございます。情報も、わくわくも、学びも、自分からとりにいく行動力が今の原田さんの暮らしをつくっているのですね。ありがとうございました。
【編集後記】
原田さんの新たなチャレンジとして、子どもたちと地域のフリーペーパーを作るプロジェクトに講師として参画されたそうです!ライフワークという考え方。何かを諦めて何かをとる、ではなくて、バランスを模索しながら自分で理想をとりにいく姿勢に、とても刺激を受けました。
原田さんのライター活動のように、実は私もライフワークとして、首都圏に住みながら地元富士市の地域活動に携わっています(一般社団法人F-design)。私にとってその活動は3rd Place(仕事でも家庭でもない第三の居場所)となって、今は住んでいなくても富士市や、地域の人と関わりを持てて、同世代からエネルギーをもらえる貴重な場になっています。地域と「ゆるく繋がる」おすすめです!
今回、原田さんの移住ストーリーでは、移住への迷いの中で積極的に情報収集とアクションをされていました。TurnXでは、今すぐにはまだ移住を考えていらっしゃらない方のご相談も大歓迎です。ぜひ、まずは情報収集されてみてはいかがですか?静岡特化型移住転職エージェントとして、お役に立てれば幸いです。
少しでも静岡への移住にご興味がありましたら、お気軽に、ご相談ください!
(取材・文 : TurnX 広報 石川恵理奈)
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